Dear.日和サマ



「お願い委員長、許してっ!!」

「知るか、遅刻したのはお前だろうが」


あーあ、またやってるよ、とクラスメートの笑い声が聞こえる。


「頼むっ、明日から!!明日からオレ真面目になるから!!」

「その言葉を最初に聞いたのは今学期の頭だっけか?」


委員長が今日も勝つ方に100円ー、じゃあオレ逆に200円ー、と呑気な声が聞こえる。


「あっ、いやそのまぁ何と言うかだな!!」

「言い訳無用」


キュッ、と出席簿に『遅刻』のラインが引かれる。

今学期に入って何度目、というか、遅刻の印が無い方が珍しい。


「大体な」


パタン、と無常にも出席簿が閉じられ、その動作と共に、完全にそいつが机に倒れ伏す。

…………正直、こんな図体がデカいヤツがやっても可愛くとも何とも無い。


「お前、前学期も、それどころか去年は全然遅刻無かっただろうが」


何でオレが委員長になってからこんな、とブツブツ言っていると、

いつの間にか起き上っていたそいつと目があった。


「え、何。何で知ってるのそんな事」

「何でって、そりゃ」


遅刻してきた奴なんか、目立つだろう普通?しかもお前みたいな下手な有名人が。


「有め、い?」


途端きょとん、とした顔をしたそいつに、正直お前以外の誰がいるんだよ、と言いたくなった。

次の総体確実とか、インハイ行けるとか。皆言ってるのに。

しかしこいつに付き合っている暇は無い。早くせねば次の授業になってしまう。


「まぁ、構わないが。お前これ以上遅刻し続けたらいくらなんでもスポーツ推薦も危うくなるぞ?」


あとオレの仕事増えるだけだからやめてくれ、という言葉は呑み込んで、そのまま席を立つ。


「じゃあオレ、出席簿出してくるか……」

「委員長ー!!!!」

「うわー!!?!」


ガバッ、と立ち上がったと思いきや、そのままタックル。何なんだコイツは、というか苦しい。


「うわっ、バカよせ止めろ!!」

「委員ちょー!!」


うわぁぁぁん、と泣きまねが聞こえる。えぇい、だから放せ!


「オレ、オレもう二度と遅刻しないから!!」

「あぁそうか分かったから放せ!つーか誰か助けろーっ!!」


うんオレ委員長に顔も名前もすでに覚えられてたみたいだから次から絶対遅刻しないよ、

という声が聞こえる中、彼は必至になって抵抗した。

何だったんだ、一体。

そいつの胸の中で酸欠になりかけた彼は、クラスメートに救出され、

ようやく息を大きく吸い込みながら首を傾げた。

『お前も大変なのに好かれたなー』という、冷やかしの言葉の意味と共に。

 
     





     
 

Dear.ピロ子サマ



「…………もー。無理」

「まーまー」


大分上手になったよ、と言われるが、その言葉がどこか苦笑交じりなのは一発で分かる。

「大体ですね、オレにサーフィンは無理なんです!!」

「そんな……」


師匠が苦笑してる。

仕方ない。

教えろ、と言ってきた側が自分でギブアップ宣言をしてしまったのだからそんな反応にもなろう。


「大丈夫だよ、一朝一夕でどうこうなるものじゃないし」


気長に頑張ろう、と言われたのだが、とうとう彼はボードの上で伸びてしまった。


「ねー師匠?」


タプタプと波の音が心地いい。


「何で、そんなにサーフィン上手くなったんですか?」


そろそろ夕暮れである。

海が赤く染め上げられ、サーフボートが波に揺られて段々と睡魔が忍び寄って来るのが分かる。


「んー、何でだろう?」


毎日一生懸命乗ったからかなぁと、のほほんと言われ、余計気力が抜ける。


「ししょぉー」


そんなん、全っ然アドバイスにならないですよーぅ、とどこか疲労の浮かぶ、

舌っ足らずな口調で彼が告げると、師匠と呼ばれた男は困ったような笑顔になってしった。


「そうは言ってもねぇ…?」


それ以外何もしなかったんだよ、と言われてそれが彼らしいと言えば彼らしいのだが、妙に悔しい。

ので、もう少し困らせてやる事にする。


「じゃー、師匠……」


うーんと、多忙だと普段から言っているのだから時間はなかなか取れまい。ならば。


「オレ、頑張りますから、もっと!」


と、そこまで言って、何オレ乙女化してるんだ、と気付いてしまって、気恥しくなって口を閉ざす。


「もっと?」


どうしたんだい、と先を促され、引っ込みが付かなくなってしまった事にようやく気付いた。

どうやら疲れがここまで回っているらしい。


「あー、うー」


ここまで来たならいっそ、と残りも告げるが、どうしても恥ずかしくなってガンッ、

と顔までボートに伏せた。


「…………一緒、に」


ああもうダメだ。言葉出ねぇ。困ってるのオレじゃん?

完敗だ、と心の中で滂沱の涙を流していると、何故かコツリと師匠のメガネが額に当たる感触がした。


「うん、それまで一緒に頑張ろうね」


静かな声が、波と一緒に耳に入って来るのを感じ、少し笑ってしまう。

良し、明日も頑張ろう。

 
     





     
 

Dear.涼サマ



「オレ、アンタの髪好き。茶色くてさ、フワフワしてて」

「……どーも」


正直そんな戯言に付き合っている暇は無いので適当に返事をして作業を続ける。

ああ、こんな所にもミスが。一体この書類を提出して来た奴はどこに目をつけていたのだか。


「あとねー、オレ的にはココも好きなんだけど」


そんな俺の言葉の棘にも気付かぬそいつはの手が、つ、と視界の隅に入ってくる。


「邪魔、なんだけど」


暗に除けよ、と言ってみたのだが、そいつは気にする事なくあっけらかんとのたまう。


「うん、ジャマなんだよねー」


人の話を聞いていないのだろう、その邪魔な指はどんどん近付いて来る。そして。


「おい、何するんだ!止めろ!!」


つ、とメガネを引っ張られ、視界がブレる。

たまったもんじゃない、と俺は前にいるそいつを見上げ、文句を付けようとした。

けれど、そこには満面の笑みだけがあって少し面食らう。


「瞳。好きなんだけど」


こんなのあったら、ろくすっぽ見えやしないじゃないか、アホ。

ケラケラ笑いながら、何も問題が無いと言わんとばかりにそいつは俺のメガネを持って行ってしまう。


「おい」


お前、と声を掛けるまえに遮られてしまう。


「あのさ」


小さくなるヤツの顔は、いつまでたっても笑ったままで。


「その綺麗な目には、オレだけ映してれば良いんだよ」


分かった?

そう言った彼の顔は、メガネが取り除かれてしまって、とうとう見えなくなってしまった。

 
     





     
 

Dear.輝サマ



アブラゼミの合唱がだんだんと小さくなり、代わりにヒグラシが鳴き始める頃。


「浴衣にメガネ?合わないって」

「そんな事ぁ無いって」


きっかけは、些細な事だった。


「じゃあ似合わなかったらどうするのさ」

「じゃあ責任位取ってやるよ」


売り言葉に買い言葉で、結局。


「ほら見ろ」

「う……」


いつの間にか浴衣を着せられてしまっていた。


「も、もう良いだろ証明になったんだろ!?」


オレの負け認めるからな!もう脱ぐぞ!?、とかなりご立腹のご様子。


「まーまー」


罰としてもうちょっとそのままな、と笑うと、途端肩が落ちてガクリと項垂れる。


「…………あと10分だかんな?」

「却下。本日はそのままでドゾー」


くっそ、何て横暴な。

とブツブツ文句を言いながらも甘んじてその罰を受け入れる所が、何というか律儀である。


「浴衣なんか……動きにくいっつーか…………」


ブツブツと恨み事が聞こえてくるのはご愛敬。

蝉の合唱と、軒下に飾られた風鈴の音が重なって、夏の音楽の協演が始まる。


「夏……終わるな」

「んー?まぁそうだよなー」


チリリリリ。カナカナカナカナ。


「あー……涼しい?」

「そりゃまー普通の服よりかはな?」


でも腹が熱ぃ、と彼は笑う。


「でも何で急にそんな?」

「……さーな?」


言わない。言えるわけが無い。

ちらりと見た横顔が、あまりにも儚げで。

気を抜いたらいなくなってしまうんじゃないかと思ってしまった、だなんて。

 
     





     
 

Dear.黒蝶サマ



おかしい、と気づいたのは昼も過ぎた頃。


「あれ、顔見てない……」


今朝は一限も二限も同じ授業だったにも関わらず一度も顔を見ていないという事に気付いた時だった。


「サボ……らないか」


授業料にいくら払ってると思ってんだお前、とやけに強調するような性格だったのだから、

今日の授業をサボるという事はまず無いだろう。


「……っかしーなー」


どこ行ったんだろう、と首を傾げつつ、文明の利器を最大限に利用する事にする。


ルルルルルッ、ルルルルルッ、ルルルルルッ。


「っかしーなー」


出ない、と首を傾げるとほぼ同時に、何やら聞き覚えのある音楽がどんどん近付いて来た。


「……これ」

「振り向くなっ!!」


って、と続ける前に背中に強い衝撃と制止の声を受けてむせる。


「ゲホッ……っと、何やって、の。おま!!」


目的の相手が戻って来たので、とりあえずケータイを仕舞う事にする。


「じゅぎょ、は」


そして、ゲホゴホと、急な衝撃に戸惑う呼吸器官を宥めつつ、当初の目的を果たす事に成功した。


「出たよ、お前と違ってサボる気は毛頭無ぇからな」

「…………だろーな」


38度の熱でも這って学校に来ようとしたようなヤツだ。

余程の事が無い限りはサボるなんてありえないだろう。


「でも、オレお前の顔見てないぜ?」

「……暇人。全員の顔見てたのかひょっとして?」

「んー、まぁな?」


お前を探してたからな、とは気恥しくて言うに言えない。


「で、そのカラクリは?」

「……………………」


途端あまりの長い沈黙が訪れ、少々焦る。


「おいっ?」

「…………笑う、なよ?」


良いか、絶対、絶対笑うんじゃないぞ!と妙にしつこい位念押しされ、思わずその迫力に頷いてしまう。


「おう、笑わねぇからさ」


と、背中でカツ、と慣れない感触がした。


「今日。寝坊、して」


コンタクトが、入らなかったんだ。

そうボソリと呟いた彼は、そのまま背中から離れる。

そして。


「あー。お前ってさー?」


何というか、メガネのせいだろうか、普段なら気にもならない泣き黒子が妙に色気を帯びる。


「……何だよ」


きつく睨まれても、フレームに阻まれたその視線は、怒りの色が消え、艶が増す。


「…………メガネかけると、顔変わるんだ、な?」

「悪かったな、チキショー」


もう良い午後の授業無いしオレ帰るからな、とご立腹な姿も、メガネ効果か、

妙に甘えられた様な錯覚を覚え。


「………………いや、悪くは無ぇよ、うん」


別の意味では十分悪いけどな。


プリプリと怒って去ってしまう背に向かって、ただそれだけを、呟いた。