★ピロ子さま



「なーに、ため息なんてついてんですか」



背後から不意に声が聞こえる。職場の後輩。

何時でもにぎやかで、そのテンションには所謂「ジェネレーションギャップ」だの、

「付いていけないかんじ」だのを持ってしまうから、苦手としている。

だが、どういうわけかこいつは俺になついているらしい。


「しゅにーん。折角の男前が台無しですよ」


許可もしていないのに隣に座った奴の手には栄養ドリンクの小瓶がふたつ。

その片方を差し出しながら奴はニカっと笑って見せた。


「お前は、元気だなー」


何時だと、思っているんだ。

と殆ど尻すぼみに消えていった言葉を奴は聞き逃さなかった。


「何時って?4時?もうすぐ始発でますよー。それまでに帰れたらいいですねぇ」


プシっと軽い音を立ててドリンクの蓋を開ける。飲み干す奴の顔にも、うっすらと汗が浮いている。


「もともと、お前のミスだろう。何で俺が空調も切られた会社で夜明かしをしなくちゃならんのだ」


こんな時間まで、汗だくになりながら書類やモニタと格闘しているのも、

この隣で笑う野郎がそもそもの原因だ。そのくせ、ちっとも堪えた様子がない。


「なんでって・・・そりゃ、主任と一緒にいたいからにきまってるでしょー?」


奴はにやりと笑うと、顔を寄せて俺の汗を一滴、掬い取っった。


「うわ。しょっぱ。・・・ごちそーさまです」


奴は何事もなかったかのように自分のデスクに戻って、仕事を再開している。

その手元は迷いなく動いていて、とてもじゃないが、ミスをしそうな様子ではない。

大の大人になつかれても、頬を舐めるなんてまねをされてもちっとも嬉しくない。

俺は今夜何度目かの大きなため息を、ついた。

だが、不快でないあたり(俺の頭もだいぶ回らなくなっているな)と

どこかぼーっとした思考のなかで考えていた。


 
     





     
 

★涼さま



どうして、とその目が言っていた。

信じられない、とも。

これまで、どれだけの思いをもって見つめていたのか気がついていたくせに、

気づかない振りをし続けた『君』に。

どこまでも美しく。

どこまでも清廉で。

自分の汚れた思いなど受け取るはずもない、君に。

どうしても伝えずには居られず。

(けれどもその方法は己が思っていたよりも随分とばかげた方法で)


もしかしたら、なくすのかもしれない。

『君』を。

けれども一縷の望みを掛けてみるのだ。

君の瞳にも欲望の熾き火があったことを気づいていたから。

『君』よ。もう少しだけあがくことを許してくれないだろうか。




これは、罰なのだ。

『彼』の瞳が怖かった。

まっすぐに、自分を見る。

逸らして、逃げて。それなのに追って欲しいと願ったおろかな自分への。


罰なのだ。


キレイでなどない。

まして、正しいはずもない。

ただ、卑怯で、愚かな。

きっと、『彼』は離れてしまう。

自分の汚さを知れば。

彼の望む「うつくしさ」などない己を知れば。

いまさらのように『彼』をのぞむ自分は、どれほど浅ましく『彼』に映っているのだろう。


けれど、『彼』から与えられるのならば、罰すらも甘美なもの。

 
     





     
 

★すずめさま



くわれる、と。

ゆっくりとその手は引き寄せられた。彼は一度たりとも自分から視線を逸らすことなく。


まるで挑発しているかのように少しだけ唇を開けている。


本来、彼を手に入れようとしたのは自分のはずだったのに。


いつの間にか逆転している。求めているのは、俺で、彼はその傲慢な目で与えるのだ。


与えながら、俺を喰らおうとしている。


貪欲に。


所詮、俺なんぞの手に負える相手ではなかったということだろう。


ゆるゆるとした悦楽の中、まるでひれ伏すように俺は、再度彼をむさぼることを、希(こいねが)った。


そのとき。

伏せた俺が見ることの出来ない彼は。きっと勝ち誇った表情を浮かべているのだろう。


 
     





     
 

★日和さま



ガタン!

思ったよりも大きな音が響く。

自分でも呆れるくらいその音に反応して、身をすくませる。

その一瞬、すべての抵抗を忘れた。

誰かに聞かれやしないか。

そればかりが気になったからだ。

いくら夏休み中の部活棟とはいえ、全く人の出入りがないわけではない。

実際、自分たちもこの場に居るわけだ。


「なぁ?」


にやり、と奴は笑う。


「たまにはこういうのも悪くねぇだろう?」


「ふ・・・っざけるなっ!」


「ふざけてなんかいねぇよ。お前も楽しんでるんだろう?」


おら、もっと鳴けよ。

首筋から這わされる舌は、気温にまけず熱い。

とかされ、流される自分が分かる。だが、分かるばかりでどうすることも出来ない。

夏だからな、と奴は笑う。

その目はまるで獲物を捕らえた猫科の獣。