後ろには壁。目の前にはニート。
間違いじゃない。——目の前には、ニート。
俺は今、胸の前で両手をひとまとめにされて、押さえつけられている。
両手が片手に敵わないって、なんで。2倍じゃん2倍!
肘張ってすっげえ抵抗してんのにニートは完璧余裕そう。
冗談だろって聞いても、え、全然?とニヤけて答えるから、ほんとどっちなのか分かんない。
ていうかそもそもなんでニート?とかそんなレベルでついていけてないんだけど俺。
絶対冗談。ふざけてるだけ。からかってんだろ?
・・・むしろお願い冗談って言って。
こんなとこあいつに見られたら、なんて思ったら最後。
薄暗かった部屋に明かりが差し込んだ。開かれた扉から、よーくよーく聞きなれた「ただいま」の声。
一拍の後、ばっちり目が合う。
「・・・・・・、一体何をしてるのかな」
王道すぎるよ!
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情けないことにどうやら腰が抜けてしまったらしい俺は、その場にずるずるとへたり込む。
抵抗しまくった体から吐く息は熱くて早くて、肺は一向に落ち着かない。
しかもニートはさっさと逃げやがった。
小さく軋む床の音と共に木星がしゃがみ込むのが分かって、失礼ながら身が引ける。
顔なんてもちろん上げられるはずがなかった。
「とりあえず、これだけははっきりさせたいんだけど」
「・・・・・・はい」
木星の左腕が、ゆっくりともったいつけて背後の壁に伸びてくる。勢い良くバンッ!じゃあない。
いっそのことぶち切れてくれた方が楽なのに。
耳の傍で無駄に低音を囁くくらいなら、大声出して怒鳴ればいいんだ。
そんですっきりしたらあっさり許して欲しい。
じわじわと追い詰められていく気分にはいつまで経っても慣れない。
「未遂だよね」
「事前、です」
「そう。それは何より」
そう思うならもっと嬉しそうな顔をしようよ。
はっきりさせたいと言っときながら、そもそも疑問形じゃないし。
もし手遅れだったら一体どうなってたんだ俺。
淡々と態度を崩さない木星に、口に出来ないつっこみばかりが心の中に増えていく。
視線も合わせず、膝を引き寄せて、でも腰は思いっきり後ずさり気味。立派な現実逃避だ。
だってすげえ、怖い。
「——ねぇ、これでもニートは『いい人』?」
落とした視線の先には、赤く指の跡が残った手首が見えていた。
やわらかく尋ねるやさしー声が、本当は固く冷たくて、相当な嫌味だ。
俺は悔しくって唇を噛む。
こないだの話だ。天気が良くて散歩に出掛けた俺は、つい外でうたた寝をしてしまった。
今の季節、夕方はまだ結構冷える。
それをちょうど通りかかったニートが見かねたらしくて、寝てる俺に自分のマフラーを掛けて、
しかも起きるまで待っていてくれたんだ。
すごい親切でいい人だろ。
それが嬉しくって、俺は帰って即行木星に話した。
そしたら喜んでくれると思った木星は誰彼むやみに信用しないようにとか、
もっと警戒心をもってとかってしかめっ面して言い出だすから、大喧嘩になったんだ。
・・・・・・ただ一方的に俺が怒ってただけだけど。
そんなだから買い言葉にしたって、そうだよ!なんて言える筈もなくて、大人しくゆるゆると首を振る。
振りながら額を膝にうずめた。こんな情けない顔を堂々と晒せるほど恥知らずじゃない。完全に俺が悪い。
それは分かってる。
「・・・・・・でも、全部が全部イヤな人だとは思いたくないよ」
はぁ、と木星の大きな溜息が二の腕に当たって、余計に縮こまるしかない。
当たり前だ。言うに事欠いて、って自分でも思う。
馬鹿にされてもしかたない。呆れられて、辛辣に批難されることを覚悟して、木星の言葉に身構える。
でも、その声音はあったかかった。
「ホント、君はお人好しだね」
だから、ちょっと様子を窺おうと頭の角度を変えてみた。
けれどその先にあった顔に、ずっりいと思う。
みるみるまに自分の顔が不貞腐れていくのが分かった。
「・・・・・・なんだよ、まだ怒ってるじゃん・・・」
「当たり前だろ」
まんまと引っかかって、うなだれる。
見なくたって得意気に笑う木星の、意地の悪い表情が目に浮かんだ。
ふわりと頭に載せられる大きな手の感触に、びくつく——前に、ほっとする。
知っている、慣れた重みだった。
不謹慎だ、こんな状況で。
「俺言ったよね。下心から優しくする人も居るんだよって」
「・・・、うん・・・」
「隙ばかり見せて」
「・・・・・・ごめん」
「何かあってからじゃ遅いんだ、とも言ったはずだ」
「・・・反省、してます」
嘘じゃない。
俺は半分木星を裏切りかけた。何もそこまで、って口では言えても、きっとずっと覚えてる。
不可抗力だとしても、お人好しだからって、関係ない。
間違えたのは俺。
「じゃあ、大人しくお仕置きされてね」
「!ッ、うぅ・・・・・・」
だから言い返さない。どうせそんなことだろうとは思ってたし!
満足そうに笑う木星の機嫌が上向いただけでも良しとしよう、・・・・・・と無理矢理思い込む。
縮こまらせていた手足を力一杯脱力した。
これから先のことなんて考えたら、それだけで気が触れてしまいそう。
いっそこのまま倒れられたら楽なのに。
「・・・・・・一コだけ言ってい?」
「どうぞ」
そうしたら木星は慌ててくれんのかな、と何となく思う。
今日のことだって、ちょっとくらい焦ったりしてくれたんだろうか。この木星が。
「・・・・・・、結構・・・・・・こわ、かった・・・かも・・・」
なんて。
やだなぁ、と他人事のような気分がした。
弱気になってる。
「・・・、アンタ以外に・・・されんの、かなー・・・とか、」
口を付いた弱音は、思ってた以上に次々と溢れそうになって困った。
あのまま木星がこなかったらと、努めて考えないようにしていたことに今更気が向いてしまう。
こらえなきゃと唇を噤むと、全身に力が入った。
手の平に食い込んだ爪が異様にむなしい。この力で抵抗したのに、全然敵わなかった。
静かに木星に包み込まれて、腕の中におさまる。
「地球」
「うん」
「もう大丈夫」
「・・・・・・うん、」
刷り込みだとか暗示だとか、いつか誰かから聞いたことがある。
じかに触れあった腕も首も頬も、あつくて確かだった。
背中を擦られれば力が抜けるし、匂いをかげばそれで十分だと思った。
ここは安心する。絶対領域。
「ほんと、ごめん」
「もういいよ」
「——俺、ちゃんとこれからはアンタを一番に信用するから」
だから許して、という言葉はひどく浅ましい気がして言えなかった。
それを判断するのは木星で、俺が頼めることじゃない。
なのに願ってやまない本心が図々しくて厚かましくて、少しだけ愛おしいと思う。
背中の方で、木星の笑った気配がした。
「そう、言質は取ったよ」
待ってくれ、と思う前に、ありがとうと思う俺は果たして正常なのか。
判断がつかない。
FIN