そして君に溺れゆく

presented by 春燕様

 

 

 

 

 

最初に感じたのは微かな嫌悪感だったのかもしれない。

 

何故、他人を愚鈍なほどに信じるのか。

 

そして、次には純粋な興味が湧いた。

 

どうして、其所まで他人を信じるのか。

 

 

 

 

常に穏やかな空気を身に纏う地球という惑星に

不本意ながらも惹かれている自分に気付くのに

時間はかからなかった。

 

あの穏やかな笑顔を自分だけに向けてみたい。

そして、あの笑顔を快楽に歪む顔に変えてみたい。

 

そんな欲望に地球に想いを寄せているだろう惑星と彗星の存在は

なんの歯止めにもならなかった。

 

元から他人を疑うことを知らない地球の信頼を得ることは簡単だった。

 

優しい言葉と笑顔で徐々に地球の領域に入り、

自分の隣に俺がいることは当然のことだと錯覚させる。

 

それはまるで何かのゲームに似ていて、柄にもなくそのゲームに俺は夢中になった。

 

全ては俺の思惑通りに進んだ。

自然を装い奪った口付けに戸惑いはあったものの抵抗はなかった。

 

色恋沙汰に免疫のなさそうな地球の身体は

初めて触れる他人の唇の感触に微かに震えていた。

年齢は俺とさほど変わらないのに

自分とは違う地球の純粋さに俺は夢中になっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ん…っ」

 

 

身体を繋ぐのは初めてじゃないのに未だに薄暗い部屋の中で地球は濡れた声を押し殺す。

しかし、なんの計算もない羞恥故のその行為は計算じゃないからこそ俺の欲望を刺激した。

 

 

「…声を我慢出来るなんて余裕があるんだな」

 

 

自分の首に回っている地球の腕の内側の柔らかい部分に軽く歯を立て、囁く。

 

 

「…ぁ…っ…余裕なんて…っな…っ…あっ…!」

 

 

俺への反論は引いた腰を更に深く繋いだことで最後まで聞けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情事の後、ベッドでうつ伏せになっている地球の背中にキスを落とす。

欲望を伴わないキスだと分かったのか地球は黙って俺のキスを受け入れていた。

 

背中から始まったキスは肩に移り、肩に落とした唇を項に移そうと顔を上げた時だった。

地球は閉じていた真っ青な瞳をゆっくりと開いた。

 

しかし、その開かれた綺麗な瞳は俺を見てはくれなかった。

 

 

「疲れただろう?」

 

 

笑みを含んだ声で囁き、項にキスを落とす。

何もかもがいつも通りだった。

しかし、いつもなら頬を染めて上擦った声で答える筈の地球は黙ったままだった。

いつもと違う沈黙が俺達の間に流れた。

しかし、自分で作り出した沈黙に耐えきれなくなったのは地球の方だった。

 

 

「……昨日…」

 

 

「うん?」

 

 

地球らしくない歯切れの悪い口調だった。

 

 

「…土星に会った」

 

 

土星という名前に地球の歯切れの悪い口調の理由が分かった。

 

 

「そうか…」

 

 

自分のことには疎いのに他人のこととなると感がいい。

 

 

「土星は木星のことが好きだと思う」

 

 

地球は少し時間を置いてから意を決したようにそう言った。

 

 

土星が俺を好き。

 

 

随分と悩んだ末に言っただろう地球の告白はとっくに気付いていたことだった。

 

 

「…だから?」

 

 

安心させてやるセリフはいくらでもある。

でも俺は敢えてそれを避けた。

 

 

「だからって…」

 

 

俺の予想通り地球は身体を起こすと困惑の色を浮かべた瞳で俺を見た。

 

 

「土星が俺を好きだったら?」

 

 

「……」

 

 

地球は困惑の顔のまま、俺を見ている。

 

 

「土星が俺を好きだから、地球は俺を土星に譲るって?」

 

 

いつもと変わらない笑顔の俺の問いに地球は視線をシーツに落とした。

 

 

「……そんな。ただ…俺は…」

 

 

地球の穏やかな笑顔が好きだ。

最初に惹かれたのはその全てを包むような笑顔だったから。

 

だけど。

 

誰にでも向けられるその笑顔はどこか掴みどころがなくて。

俺は時々、地球のその笑顔を壊したい衝動に駆られる。

 

誰にでも向けられる笑顔ではなくて自分だけに向けられる顔が見たい。

 

誰にも見せない顔が見たい。

 

独占欲以外の何物でもないその感情に俺は自分で思うほど自分が大人じゃないことを知った。

 

 

「俺も土星が好きだよ」

 

 

「…え…?」

 

 

困惑の色を浮かべていた瞳は一瞬にして曇った。

それは誰も、俺以外の誰も見たことのないひどく傷付いた地球の顔だった。

 

優しくしたいのに…

 

誰の言葉でもない、自分の言葉で傷付く顔が見たいなんて。

 

それはまるで、子供が好きな子の関心をひく為にわざと好きな子を苛めるような幼稚な行動で。

そんな子供じみた自分を俺は心の中で笑った。

 

 

 

『木星は地球と一緒だと子供になるんだね』

 

 

 

唯一、俺と地球の関係を知っている月が以前、訳知り顔で言ったセリフが頭に浮かぶ。

 

 

『子供になる』

 

 

月の言う通り、苦笑しか浮かばない自分の行動はまさに俺が地球に甘えているからなのだろう。

 

 

「土星のことは好きだよ。ただし、弟としてね」

 

 

傷付いた瞳を浮かべたまま、黙り込んでしまった地球に満足した俺は地球の瞳を見つめた。

 

 

「…弟?」

 

 

呆然と俺を見る地球の頬に手を滑らせる。

 

 

「土星のことは弟としてしか見たことないよ。それは土星が俺のことを好きだとしても

 変わらないな。だって、俺がこんなことをしたいと思うのは地球だけだからね」

 

 

頬にあった手で首筋をなぞり、その手を地球の胸に滑らせる。

 

 

「……ん…」

 

 

さっきまで愛し合っていた余韻で地球はそれだけのことに吐息を洩らして頬を染めた。

 

 

「あれだけ愛し合ったのに信じて貰えてないなんて傷付くな」

 

 

軽く微笑み地球をベッドに押し倒す。

 

 

「木星…?」

 

 

次に訪れることを予想して地球は困ったように俺の名前を呼ぶ。

 

 

「俺の努力が足りなかったみたいだからね。

地球に信じて貰えるように頑張るよ。今からね」

 

 

甘い声でそう囁き、微笑みながら地球自身に指を絡める。

 

 

「…ぁ…っ…」

 

 

自分の身に訪れた甘い刺激に地球は頬を染めたまま、綺麗な瞳を閉じる。

綺麗な地球の瞳が見れなくなったのは残念だけれど、

代わりに今、俺の下では少し上気した頬で熱っぽい吐息を洩らす地球がいる。

 

誰の前でも優しく穏やかに微笑む地球。

 

そんな地球の快楽に乱れる顔も息を弾ませ淫らに絡み付く身体も知っているのは俺だけで。

そんな事実が更に俺を煽り、駆り立てていく。

 

溺れさせているのは俺なのに、溺れているのは俺で。

 

いつしか、息も出来ないくらい溺れるのではないかという甘い不安に

その“いつしか”がそう遠くないことを思いながら

俺は地球に溺れていく為に地球の首元に唇を寄せていった。